高麗人参を使いこなす!
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古来より高級品として珍重されてきた高麗人参

高麗人参は、朝鮮から日本に伝わってきました。

最も古い記録としては、
739年(天平11年)に渤海の文王が、
聖武天皇に高麗人参30斤を贈ったという記録があります。
その頃に建てられた正倉院には、今も当時の野生人蔘が大切に保存されています。

朝鮮半島から国交贈品として日本に送られた高麗人蔘には、
年間で11トンの銀貨(人蔘代往古銀)が対価として支払われていました。

高麗人蔘はその当時から、
一般庶民には手が届かない高級な食材でした。

当時の輸入品のなかでは、
中国産の上質生糸に次いで朝鮮人蔘が30%程度を占めていました。

「人蔘代往古銀」という純度80%の銀貨を、
わざわざ高麗人参のために幕府の負担で特注したほど、さかんに流通していました。
ちなみにこの「人蔘代往古銀」は、日本国内では使用されていませんでした。

高麗人参が日本に入ってきてからは、薬効が高いことから、短期間に需要が増していきました。
そのため、家康の頃から日本での高麗人参の栽培にチャレンジしていたのですが、
非常に栽培が難しく失敗が続きました。
高麗人参の種は、未成熟なままでまいても芽が出ないのです。
催芽処理をして胚の成熟をうながすことで、発芽率というものが高まってきます。

それからも高麗人参の栽培と研究を重ねて、
八代将軍徳川吉宗の頃にやっと、日本での高麗人参栽培が成功しました。
そして、1685年(貞享2年)には幕府が江戸に朝鮮人参座を開設して取引されるようになりました。
しかし、高麗人参は栽培の難しさから秘薬とも呼ばれ、とても高価な値段で取引されていたそうです。

高麗人参が文献に記載されている記録としては、
「急就章(きゅうしょうしょう」(中国前漢時代)や、
「傷寒論(しょうかんろん)」(西暦200年頃)などが残っています。
書物には、冷え症、消火器の症状や循環器の症状などの、
さまざまな体の症状に効果的であると記されているようです。

このように高麗人参は、古くから珍重されてきた、由来の明らかな高級食材といえるでしょう。
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